大秦帝国 縦横 ~強国への道~ その1

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中華テレビドラマ「大秦帝国」シリーズの2作目、「縦横~強国への道~」全51話を見ました。

昨年の初夏の頃からみはじめていたのですが、引っ越しが決まってから中断して今年に入ってから視聴を再開し、やっと見終わりました。

以前のココログブログ(このブログはなくなりました)で紹介させていただいた「大秦帝国」1作目では、弱小国になりさがっていた秦を強国へと築きあげた秦の第25代君主の嬴渠梁(えいきょりょう)=孝公と、商鞅との活躍を描いていました。

前作のドラマのラスト、孝公の死後、かねてから商鞅を憎んでいた反対勢力によって彼は車裂きの刑で処刑されてしまいます。

そして今回の2作目では、孝公の後を継いだ第26代君主の嬴駟(えいし)=恵文王と、宰相に迎えた縦横家の張儀が、秦をさらに強国へと発展させていくまでのドラマが描かれています。

恵文王

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ドラマはしょっぱな、商鞅を処刑した反対勢力である一派を粛清していくエピソードからはじまります。恵文王は商鞅を処刑したものの、今後も商鞅のつくりあげた政策で国を運営していく方針で、それに反対する旧態然とした人間は一掃する必要があったからです。

以前に見た「東周列国・戦国編」の縦横家エピソードの記事が簡単な参考資料になったのですが、これも記事は失われたのでざっくりと当時の状況を説明しておきます。

張儀

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嬴駟は、秦ではじめて王を名乗った君主で、第26代君主であるとともに、秦の初代の王。国力をつけた秦に対して、他の六国は危機感を抱きます。そこで、秦に対抗するためには、他の六国が連合を組む必要があるという合従説を唱え、連合をさせた上で六国の宰相の地位についたのが、同じく縦横家で名高い蘇秦です。

「鶏口となるも牛後となることなかれ」です。

余談ですが、春秋戦国ドラマは、後の故事成語のもとになったエピソードがたくさんでてくるので、本当に勉強になりますよ!

ところがこのドラマは、蘇秦はまったく登場せず、このやくまわりを公孫衍(こうそんえん)という人物一人に代表させて描かれています。公孫衍は函谷関の戦いという実際の戦において六国のうち斉を除いた5国の連合を率いて、秦と戦った人物なのです。

公孫衍

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このあたり、人の出入りと、関係が非常に複雑なので、詳しくはドラマでざっくり頭に入れたあと、史記なり歴史資料をあたられると良いと思います。(私の記事はネットで調べたものなので、簡単な参考程度にして下さい。)

とにかく、六国は互いに利権を主張して一つの強敵に対してまとまる事が出来ず、結局はさらなる秦の大国化を許してしまったのが、この恵文王の時代だと言えると思いました。恵文王は、中原への進出をはかる前に、巴蜀を併合し圧倒的な力を得ます。

ドラマは、恵文王の死後におきた後継ぎ争いまでを描いています。長くなるので、その2の人物紹介とともに軽くエピソードにふれたいと思います。

中華歴史ドラマはおもろいで!!(笑)

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